6月18日 新潟、上杉謙信の故郷

6月18日、日曜日、曇り
・・・・新潟、上杉謙信の故郷、上越・・・
俺の苦手とする、日曜日がやってきた。どうやら、朝からの雨はやんでくれるみたいだ!
この旅で初めて、日本海に出るとっても嬉しい!!記念する日だ。
昨日の雨が、荒れ狂う日本海を作り出しているんじゃあないかと期待して海に出たんだけれど、思いとは裏腹な『べたなぎ』で、まるで福山港のような穏やかな海だった。

海辺をスッテプクンで走っていると、海難の神様『弁天様』をお祭りした、小さな島が目に入ってきたよ〜!(その小さな島までは、赤い色をした橋で、渡る事ができるみたい・・)
車を降りて、桟橋を渡って弁天島に登ってみた。
山頂からは穏やかな海の水平線が果てしなく続いていて、夏を思わせる風が・・・ソヨソヨと吹いて気持ちよかった・・・。
海岸を見ると、子供たちが、もう海で泳いでいる。
まわりの海も海水浴に向けて、準備をしているのをみると、もうそこまで夏が来ているんだなあ〜!って不思議な感じ・・・
弁天島の横に、『蟹ラーメン』を食べさせてくれる『海の家』をみつけた・・・!
店内は、喫茶店のような内装をしていて、海が一望できる最高のロケーションをしていて、サワヤカな店員さんが注文を聞きに来てくれて、名物の『蟹ラーメン』を注文してみた。
(出来上がるまで、結構待たされるので、何か暇つぶしの物を持って行ったほうがいいかもしれないよ)。
先客の夫婦も蟹ラーメンを注文していて、ダイナミックなドンブリと格闘していた。
おやじさんはスープを飲むと必ず、舌ツツミというか、舌打ちというか、店内に響きわたるくらいの、高らかな音を響かせながら、食べていた。
音がする度におかしくって、おやじさんを見てしまう!(奥さんは毎日あの音を聞かされているんだろうなあ?)
ついに登場!蟹ラーメン。ここのスープは本当に濃厚だ!
麺も札幌ラーメンのように腰がある。(長時間スープの中に泳いでいても、のびることは無いだろう!)トロミのあるのは片栗粉なのかなあ?
素材は大きく大ざっぱに切ってあって、まるで、浜ドンの『煮込みうどん』のようだった。今まで食べたことの無いクセになる味だから、食べてみて欲しい。
さあ、上杉謙信の事について調べに行こう!
上越市のある『春日城跡ものがたり館』に行ってみる事に・・・。
現在は、『春日城』の痕跡も無くなっちゃってて、石垣だけになっているんだって。
どれだけ権力と名声を持っていても、その時だけの繁栄で、『後世まで続く!』という事は難しいみたいだね。
時代の流れに呑まれて、跡形も無く消えていってしまうんだ!何ともハカナイねえ。
(権力なんてそんなものなんだなあ〜!)
上杉謙信って人は、幾度となく名前を変えていて、幼名は『長尾虎千代』といって、次男坊だったんだね。
長男『長尾晴景』が家督を継ぐので、虎千代は長尾家の菩提寺である『林泉寺(りんせんじ)』にあずけられ、お爺ちゃんの名僧『光育』のもとで『禅・文武』を学んで育っていくんだ!この時の名前が(景虎)。
父親の『長尾為景』が病によって、死んじゃって、兄の晴景が跡目を継ぐんだけれども、病弱で戦乱の時代には不向きな性格だったから、お寺から弟『虎千代』を呼び寄せ、元服させ『長尾平三景虎』と名を改めて武将として側に置くことにしたんだ。
弟『景虎』は15歳で初陣を勝利し、その後も沢山の戦争を経験し、メキメキとチカラを付けていったんだ。
家臣の信頼も厚く、頼もしい人物に育っていったんだけれども、兄にとっては、自分よりも目立つ存在になっていった弟が『邪魔な存在!』と思うようになっていったんだ。
弟『景虎』の存在が、だんだん怖くなっていった兄は、ついに弟『景虎』を殺すように作戦をたててしまうんだ!(怖いよねえ)。
弟『景虎』は悩んだ末に、越後の守護『上杉定実』に仲裁を頼んで、なんとか戦争をしないで済むように話し合いをしてもらったんだ。
上杉定実は、弟『景虎』は『兄の養子となる事!』『兄自身は隠居する!』という案をだして、なんとか戦争をする事無く和解することとなったんだ。
そして、この出来事で、弟『景虎19歳』にして長尾家の家督を相続する事になったんだ。
19歳じゃよ・・・!
今の時代じゃったったら、大人達を引っ張っていくことなんて出来ないよねえ!
周りの人間も長く生きてきた分、色々な企みももっていて、兄の方に味方をしていた者は、この事にどうしても納得してなかったんだ。
特に、兄と一緒に、弟『景虎』を殺そうと、たくらんでいた『長尾政景』って人は、自分の軍隊を『坂戸城』集めて、お城に立てこもり、謀反を起こしてしまったんだ!
『話が付いてるのに、今さら何をさらしとんじゃあ〜!そんな奴らに目にもの言わしちゃれー』って景虎は怒ってしまって、坂戸城を包囲し、政景を殺そうとしたんだ!
これにビックリした母上は、影虎を説得するんだ。(だって、謀反をした『政景』の嫁が母上の身内だったから、なんとか止めようとしたんだね!)
命拾いした『政景』はその後、忠誠を誓って、仕えたんだって。
それで安心してはいられないよ!国の周りでは、戦争が激しくなっていて、北条氏康(井原出身北条早雲の子孫)が『上杉憲政』を攻め、逃げ延びた『上杉憲政』は景虎に救いを求めてきたんだ。
この上杉家は室町幕府の長官補佐役を代々行っていて、景虎がこの『上杉憲政』を助けた事によって、鎌倉の『鶴岡八幡宮』で、幕府の長官に就任され、上杉家を相続する事になったんだ。
・・・・ここで名前を『上杉謙信』と変えているんだ・・・・
そんで上杉謙信が戦の時に、鎧兜に身を包まないで武蔵坊弁慶のような格好をしてたかというと、元々がお寺にあずけられていた事と、内部の争いにイヤ気がさして、高野山に出家していた時代があるんだ。(だから、坊さんの名残りの格好をして戦に出ていたんだ)。
上杉謙信の最大のライバルだったのが『武田信玄』その人で、川中島で戦を12年の間に5回も戦争をやってるんだ!
歴史に残る川中島の戦いは4回目の事をいってるんだけど、この時、上杉謙信は『妻女山』に陣を構えて『武田信玄』の出方をうかがっていたんだ!(双方相手のシビレが切れるのを待ってたんだよ)。
先に動いたのが『武田信玄』の方で、自分の軍を2つに分け、1つを妻女山に差し向けて、奇襲をかける戦法を考えたんだ。
奇襲に驚いた上杉軍を、山すその『八幡原』におびき出し、逃げてきた所を、武田軍の本体が待ち受けて、挟み撃ちにするといった作戦だったんだ。
だけどこれに気が付いた上杉謙信は、その裏をかいて、夜のうちに妻女山をぬけて、半分になった、武田軍本陣に襲撃をかけたんだ。
山のほうから何にも様子が無いからさあ、どうもオカシイなあ?と感じていた武田信玄の目の前に!いきなり敵の上杉軍が飛び込んできたんだ!(さぞかしオドロイタだろうねえ!)
この時の戦争も互角で、なかなか落ちない武田軍に、しびれを切らせた上杉謙信は、自ら馬に乗り武田信玄に『一騎打ち』をしようと乗り込んで行ったんだ。
敵の大将が単身で乗り込んでくるなんて、考えられなかった武田信玄は、あっけにとられて、あと少しで刺し殺される所だったんだ。(その時の武田信玄はどんな想いをしたんだろうねえ?)
戦争ばっかりしていた2人だけど、武田信玄の土地は山に囲まれていて、『塩』がとれなかったんだ。
塩は『今川氏』の所から商人が運んでいたんだけれど、戦争の腹いせから、今川氏が塩を送ることを止めてしまったんだ。
この事を知った、上杉謙信は『民が困っているだろう。一般人を苦しめる事はないだろう』って言って、自分の所から武田信玄の所に塩を送っているんだ。
『ありがたい!』って思った武田信玄もお礼の品『塩留めの刀』を上杉謙信に送っているんだ。
だけども戦争を繰り返してしまうんだよねえ!分かんないなあ〜!
さっき言ってた上杉謙信の預けられたお寺『林泉寺』に行ってみたよ!!
ここには、上杉謙信が『自分で書いた字』が今でも置いてあって、展示館で見る事ができちゃう!!

この人の字を見ていると、ダイナミックなんだけれど、繊細で、キレイに整って、バランスがいい字をしているから・・・やっぱし、性格が出るのかな。って想像してしまう。
今日は暑くて、汗をかいたから、上越市が管理する温泉!『鵜の浜人魚館』に行ってみようかな・・・・
市が管理する温泉施設って、こんなにも厳重管理されているんだろうか?って怖くなってしまった・・・・
お風呂に入って、大広間でこの日記を書いてるんだけど・・・
ここで初めて、『そこの君!!パソコンの電源を広間のコンセントから抜きなさい!!』って叱られてしまった・・・。
施設はプールまで造っていて、莫大な電力と水がいるから、経営が大変なんだろうねえ!赤字続きだとみんなにいろいろ言われるから、節約しないといけないんだろうか??
経営理念は『訪れた全ての人が身も心も安らぎ『心に灯火が宿る』そんな施設にします!』ってデカデカと看板にかいてるんだけど・・・・
もう出なきゃ・・・おっちゃんに怒られちまうよ!じゃあね〜。
今日は道の駅『風の丘・米山』で就寝・・・。おやすみなさい。