7月8日 ねぶた祭り

・・・・ねぶた祭りは1ヶ所じゃあなかったんだ!・・・・
7月8日、土曜日、晴れ

『道の駅、ふかうら』は海風が強い!
ここは船の難所といわれるくらい、複雑な風が吹いているんだって。
(ここはイカがたくさん干してあったよ!目の前の海でとれるんだろうか?)

ここを北上すると『千畳敷』の岩場が見えてくる。
昔・ここで畳を1千枚敷いて、宴をした事から、千畳敷と呼ばれるようになったんだそうだ。(家族連れの子供が、何かを捕まえようとして、楽しそうにはしゃいでた) 
カップルも多くてね!好きな人と一緒だと、何処でも楽しいんだろう・・・見ていて微笑ましくなるよ。(一人旅の俺には関係ないもんね!天気がいいからここでゆっくり昼寝でもしたいなあ・・・・いや待て!明日北海道に行くんだから、オチオチ昼寝なんてしてらんないぞ!)
海岸線は本当に何もなくって、寂しい田舎道だったけど、青森の町に入ってビックリ・・・今までとは全く違った景色が広がってきた。とんでもないくらい大きな街だよ!
青森市内に入る前に『五所川原』っていう町があって、ここの市役所近くに『立ねぶた』の仮設倉庫を足場で作っていた。(あと1ヶ月で本番っていうのが伝わってくるね!)
商店街の中に『立ねぶたの館』に入ってみると、本物のねぶたが3体飾ってあるんだ!
これが高さ22メートルっていう(化けもん)だね!

建物でいうと、7階建てだよ・・・受付横のエレベーターで4階に上がって、扉が開くと・・・目の前にねぶたの顔がデーンっと睨み付けてくる。(よくもまあこんなものを作ったねえ!)

明治時代に全盛だった『ねぶた』は、その土地の金持ちが、大工を使って作らしていたんだけど・・・時代の流れとともに忘れられていったんだ。
それを、平成8年に復活させて、『青森の3大ねぶた』と言われるくらいの大きな祭りに広めていったんだってさ。
だけどやっぱり青森市のねぶたの方が有名なんだって・・・。(『ねぶたの里』(017−738−1230)に祭りで使った山車を展示してるんだって。ここは横にデカイねぶたを展示してて、17時30分に閉まるから気を付けようね!)
きょうの寝床『道の駅、浅虫温泉』でお風呂に入っていたらビックリしたよ!
窓の外を眺めてたらさあ・・・駅の前に小さな『ねぶたと踊り子』達が集まってるんだ。
耳を澄ますと、お囃子が聞こえて来るじゃないか〜!
車の中からカメラを持ち出して、ねぶた祭りを観に行ったよ。(どうやら、温泉街の土曜日だから、観光客に見せる為だったんだ!)
太鼓や笛、鳴り物から、ねぶた御輿まであって、本格的じゃないの!
跳人の女の子が威勢良く声を張り上げて『らっせら〜!らっせら〜!らっせ〜!らっせ〜!らっせ〜!ら〜!』って叫びながら踊ってる。
見ていてワクワクして来るねえ!やっぱり祭りは、見るんじゃあなくって、参加しなきゃねえ!この飛び跳ねるのは結構シンドかったよ!(体力いるよ。ホント!)
本番のねぶた祭りは見ているだけじゃあ、おさまらないかもね!

突然なんだけど・・・俺が20代の時に好きになった女性がこの青森の出身だった・・・
俺より年上のその女性は、色が白く、とってもがまん強い人・・・
いつも貧血を起こしているんだけど、仕事を休む事なんてしなくって、一生懸命働いている彼女だったけど、職場の同僚からいつもイジメを受けて・・・
彼女に対するヒガミだったって・・・、誰も彼女を助けてはくれなかったって聞くと、とっても哀しくて・・・
彼女は毎日電話をかけてきて、いまにもくじけそうなその心を、俺との会話で何とか持ちこたえようとしていたのかもしれない・・・
なかなか会うことも出来ない彼女に・・・もどかしさを埋めるために、手紙や電話でお互いを励ましあう事しかできなかったあのとき・・・。
抱え込んでしまった、たくさんの事に押しつぶされそうになって生きている彼女は、
毎晩のように、俺の所に電話をしてきて、抱え込んだ重い荷物を吐き出していた。
逃がれられない現実から唯一離れられるのが、俺との電話だったんだろうか?
だけど、俺が福山に連れ戻される事になって、俺のほうが先に心が潰れちゃった。
自分の人生が終わったと思った俺は、実家に帰ることも彼女に告げず、荷物をまとめ、
こつ然と彼女のもとを去ってしまったんだ。(連絡先も告げずに!)
わたしは、生まれたときから言われ続けたことがある。
井上家の跡取りで、井上建設の2代目社長!になるんだって・・・
物心が付く前から周りの人から言われ続けて生きてきた。
オヤジは『正敏の嫁さんになる人は、俺が見つけてきた人と一緒になるんだ!』と言い、
母さんは『正敏のお嫁さんには、踊りとお茶と会社の経理をやってもらわないとね!』
と言い・・・姉さんたちは、『あんたの嫁さんは私が仕込んであげる!』などと言われ、
周りの人は『あんたが2代目を継ぐんだろう!そんな性根じゃあ社長なんて務まらないし、
社員だって付いて来やしないぞ!』と笑われながら俺は育ってきた。
九州や大阪にいる時には、その雑音が聞こえなくなり、本来の自分の姿で人生を思いっきり楽しむことができた唯一の時間だった・・・。
だけど、福山に帰ることになった時から、今まで聞こえなかった雑音が、津波となって押し寄せてきた。
おれは、彼女はとうてい!オヤジや母さん、兄弟、会社の誰からも愛される事が無い!っと思い込んでいた・・・。俺は、彼女を守る自信が無かった。(なんとも情けない・・)
何も告げずに、逃げるように俺は彼女の前から姿を消した・・・・
あれから10年、その彼女の生まれ育った青森に俺は今、立っている!
彼女は青森の何処で生まれたんだろうか?
学生時代をこの街で過ごしたんだろうか?
どうして、もっと聞いておかなかったんだろう・・・
そういえば・・・ねぶた祭りの話をしてたっけ!
この青森の地に立って、海風が胸を付き刺す!痛い傷だなあ。
おやすみなさい。