7月9日 は〜るばる来たぜ函館〜!

・・・・は〜るばる来たぜ函館〜!・・・・
7月9日、日曜日、曇り

7時過ぎに目を覚ましてみると、青森市の『浅虫温泉』の朝は曇ってた。
この街は大都会だから、街が動き出したら最後、蜂の巣をつついたように賑やかになるにを、昨日目撃しちゃったから!その前に、フェリー乗り場まで行っとかないと、船に乗り遅れるかもしれない・・・顔を洗ってるヒマは無いよなあ〜
午前7時の日曜日の街は、まだ寝静まっているみたいで、駅前通りの広い道路もスカスカで、渋滞する事無くフェリー乗り場まで着くことができたよ。

9時10分発の『札幌行きフェリー』の申し込みに並んでいるのは・・・
たった5組だけで、少し不安になってしまった。
列の後ろに並ぶと、函館行きの搭乗手続きに不慣れな2組前の観光客が、申し込みの
記入方法が分からなかったみたいで・・・、売り場の担当者にイロイロ訪ねてた。
その間に、キップを買いたい人の列がドンドン並んできちゃった。
だけど、窓口が1つだけしかないから、観光客がモタモタしてるのを眺めておくしかなかったんだ。
俺の前にいたトラックの運転手は手慣れたもんで・・・、ものの1分でキップを手に入れちゃって、さっさとトラックに飛び乗って行ってしまった!
俺も、『JAFの割引』を使って切符を手に入れようとしたんだけど、支払いをカードにしちゃったから、その手続きに時間が掛かっちゃってね!
後ろの人の殺気を感じながらキップが出てくるのを待ってたんだ。(この青森〜函館の間は7月20日〜8月末までは料金が値上がりするので、気をつけようね!)
どうにかキップを手にして車に乗り込んで、函館行きのフェリー乗り場に並んで出発を待つことに・・・
フェリーに乗る時って・・・・順番ってのがあるんだね!
まずは大型トラックと、人間が優先的に入るんだ。
その後に、配達のトラックが入って、最後が普通車が入るようになるんだけど、
あれだけドンドン大型車が入っていくと『もしかしたらこのフェリーに乗れないんじゃないか?』って不安になってくるんだ。
だけどフェリーはたいしたもんでさあ・・・!全部の車を収納しちゃって、青森の港を出港していったよ!
車を降りて、階段を登って客室に上っていったら・・・ここにも修学旅行のちびっ子が乗船してた!
なんと、じゅうたんの張った、大きな床が6箇所区切ってあって、その2区画を、ちびっ子達が占領して、旅の宴に酔いしれて、はしゃぎまわっていた。(もう寝れたもんじゃあない・・・・)
あふれでるチカラを思いっきり発散しているちびっ子達は4時間の間、ずっと騒ぎっぱなしでとても楽しそうに過ごしてたよ。
『俺にはもうあんな元気は無いなあ!』って少し寂しい気持ちになっちゃった。

今日の天気は快晴で、船は荒れることも無く、無事に函館の港に到着した。
この函館という街はドデカイ街だ!駅前は新しくて、まるで空港のようだね!
フェリーの長旅から開放されて、車で函館駅まで走ってみた。
お目当ては函館名物『海鮮の朝市!』だよ〜ん!
露店をいくつも並べた商店街のような感じかなあ?カニさんやウニさんが北海道中から集まってきたんじゃあないか?っていうくらい沢山いるんだ!
これを朝から14時の間に売りさばいてしまうんだから、凄いよねえ!

もし・・・『お兄さん!』って甘い言葉に振り返ってしまうと、凄い押し売りにあって、いっぱい買い物をさせられてしまうから、上手い事にげてくださいな!
商店街の奥にある『どんぶり屋』(0138−26−0141)でウニ・イクラ・アワビの3食が入ったどんぶりを1500円でいただきました。(お腹イッパイご馳走様でした!)
函館駅に近い所にある、露店みたいな食べ物屋には、観光客がウジャウジャいて騒がしい。高いばっかしなのに、ここで食べる人が多いんだ!
朝市を離れて、函館のシンボル!『五稜郭』に行ってみたよ。
ここは『戊辰戦争最後の戦争舞台』になった所なんだ。
箱館戦争』って言われたこの戦争は、徳川幕府の残党である『榎本武揚・大鳥けいすけ・土方歳三・』が、この戦争の船頭を取っていくんだ。
上野の品川沖に停泊していた『海陽丸』はオランダで造船された幕府軍の象徴というべき艦隊だったんだ。
これをオランダで造船している時にずっと側で見ていたのが『榎本武陽』だった。
『この大きな軍艦が出来ていく!その船長が自分なんだ!』っと完成を見守る気持ちはどんなんだろうね!自分の宝物を手に入れた感覚なのかもしれないね。
『海陽丸に対する思い入れは尋常ではなかった』と言われても仕方がないよね!
品川沖で戦争をしているのに関わらず、『新政府軍』に対して、1発の攻撃もしないで、ずっと見ていた!・・・っていうんだから、よっぽど船を傷付けたくなかったんだ
ろうか?(榎本は、何を考えていたのかなあ?)
そんなこったから、『品川の戦い』は負けちゃうんだ!
榎本・大鳥・土方はどうしようかと考えて、新政府が管轄していない、蝦夷地(えぞち)といわれていた北海道に移り住んで、新政府の下で『徳川幕府の住む所を開拓をさしてもらう!』という発想を思いついたんだ!
その計画を実行する為に函館の『鷲の木』に上陸して、箱館県知事の『清水谷きんなる』に嘆願書を届けようとするんだけど・・・なんでかなあ?戦争になっちゃうんだ!
大鳥圭介の軍隊と土方歳三率いる軍隊が箱館に上陸したもんだから、ビックリした県知事の『清水谷きんなる』は、部下を捨てて、急いで青森に逃げちゃったんだ!
逃げちゃったから、五稜郭徳川幕府軍の残党達が占領しちゃって、何故だか今度は(相撲取りの千代の富士の故郷がある)松前福山城』を攻め落しちゃうんだ!
これで箱館を制圧した徳川幕府軍の残党は親政政府を作ろうとしたんだね!この時に榎本は、『もう大丈夫だ!』と鷹をくくってしまったんだ!
戦争にどうしても勝つ為に、急いでアメリカに注文していた軍艦『甲鉄』をいらないよ!って榎本は断ったんだ!
アメリカは『出来た船をどうにかしよう?』と考えて、敵の新政府軍に、その軍艦を
売っちゃったんだ!
そんな時に榎本達は、自分達のシンボルとしていた軍艦『海陽丸』を、ひょんな航海で沈没さしてしまうんだ!
ア〜!やっちゃったよ〜!『甲鉄』の軍艦を買っておくんだった!っと思っても後の
祭り!だんぜん不利になってしまったんだ。
なんとかあの『甲鉄』を潰してやろうと岩手県宮古湾に奇襲攻撃を仕掛けたんだけど、失敗しちゃってね、散々な目にあっちゃたんだ。
新政府軍は、勝手に北海道を『新政府』と言ってる、榎本達を許してはいなかったんだね。(ひそかに北海道に向けて、軍隊を送り込んだんだ)
もちろん軍艦『甲鉄』を連れて!
4月9日から戦争が本格的に始まり、ここから徳川幕府の残党の内部で、壮絶な人間模様のドラマが始まるんだ!
箱館戦争が始まり、だんだん徳川幕府軍の状況が悪くなると、敗戦の色が濃くなっていく中で、新鮮組の意思『武士道』をつらぬく土方歳三に対し、官僚の考えを持って頭で策を論じる大鳥圭介と榎本との間で意見の違いが表面化してきたんだ。
なんとか和解案を頭で考えて『生き延びよう』とする大鳥・榎本の官僚と、『薩長は敵である!たとえ1人になったとしても戦って死ぬんだ!』という土方歳三の想いは交わる事が無かったんだね!
そう思うと、土方は最後の武士だったかもしれないね!
大論争の末、榎本の意見に従い、戦争は終わり、5月21日に榎本は東京に護送され、戊辰戦争徳川幕府の惨敗で終わりを告げることになるんだ!
この戊辰戦争の中で、土方歳三は、なぞの死を遂げている?
何がいったい起こったんだろう?
やりきれない想いを胸に、敵に一太刀も入れられないまま生きていたくはなかったのかなあ?関ヶ原の戦国武将『島左近』のように自ら死を選んだのかもしれないね!土方の想いはどうだったんだろ?
この後、榎本は皆が知っているように、明治政府で権力を握っていく人となっていくんだけど・・・・人間の生き方ってどうなんだろうねえ!
生き延びて、たくさんの人を死なせずにすんだ事をよしとするか、武士道を貫き、徳川に忠義を示すか!どちらが良いかなんて、判断が難しいねえ!
いま座っている、この五稜郭で、土方歳三や榎本が戦っていたんだと思うと、信じられない。
目の前に、犬の散歩をしているおばさんや、無邪気にはしゃいでいる子供達が、同じ場所に居るんだからねえ。
日本の歴史を歩いてきた俺は、学生時代、いったい何を学んでいたんだろう?
ヤッパリ自分の足で歩かなきゃ、見えないもんなんだね!
学問は知識!それを自分の肥やしにするのは自分で足を運んで感じなきゃ身に付かない!と俺は思う。

今の時代、忘れてはいけない『志し』がここにはあったんだと俺は想う!
今日は道の駅『YOU遊もり』で就寝します。
せっかく北海道に来たんだから、きょうはビールで祝杯しよう!おやすみなさい。