7月12日 北海道の中心だった、小樽

・・・・・北海道の中心だった、小樽・・・・・
7月12日、水曜日、晴れ

なんと・・・・今日もあのお母さんに道の駅であった。
1ヶ月に及ぶ旅も、今日で終わるそうだ。(最終日は小樽で過ごすんだって)
こんなふうにして、旅をしている人に・・・この北海道でたくさん出会った。
俺も小樽に行ってみようかな〜!
小樽の町は元々漁村で、人口も2千人しか住んでなかったんだって。
なのに、どうして明治時代に発展していくのかな?
小樽という街は、北海道の中で、1年を通して、風の影響を受けない湾になっている
所に目を付けていた人がいたんだね。
そんな時代に炭鉱が発見されて、ここから出される石炭を鉄道で海まで運んで、
船で輸送する事が必要になってきたんだ。
時代に必要とされた、風の無い穏やかな小樽の町が選ばれて、ここに北海道初の鉄道が小樽から炭鉱まで結ばれる事に・・・・。
そうなると、遠浅だった小樽の港に運河を引き込む海の工事が始まって、その工事で出来た運河をはさんで船会社や、荷物を入れる倉庫が建ち並んでいくんだ。
街が活気付いてきた時に『日露戦争』が始まってさ、ロシアの領土(樺太)に足を踏み入れようと日本は変わってしまう。(樺太(からふと)開拓の拠点として、ここ小樽に選んだんだ)
活発になる港に、世界は更なる風を吹き込んでくる。
・・・・・・『第1次世界大戦』だ!・・・・・・
戦争によって、ヨーロッパが輸出品を輸送出来なくなってしまったんだ。(戦争に大量の軍艦を使っていたから、世界的に船が不足していたんだね)

船が無ければ輸送が出来ないから、どこかの国に、代用品を求めるようになっていったんだなあ!そんな時に世界から注目されていたのが、手先の器用な日本だった。
世界中から注文が殺到した日本は、そのおかげで『高度成長期』を迎えていくことに・・・
世界には船で物品を送り、薬品は日本で生産して、世界に輸出していた。
造船は生産が追いつかないくらい注文が殺到したんだってさ!
日本には『船成金』っていう人まで出てきたくらい、儲かっていたんだね。
そんな時代の明治39年に『日本郵船』という船会社が設立されたんだ。
主に輸送を仕事としていた会社で、今でいう宅急便だね!
すごく儲かっていたんだろうねえ!ゴージャス!っていうのはこういう事を指すんだと思うよ!

船会社だけあって、建物の材料を世界から集めて、日本近代建築の父と呼ばれる『ジョサイア・コンドル』の弟子である東大第1期生の『佐立七次郎』(さたち、ひちじろう)に設計を依頼し、レンガ造りではなく、『総石造り』の建物が出来上がったんだ。
(木造では火災に弱いから、大事な書類がよく焼けてしまってたんだって)
それを防ぐ為に、『厚さ75センチ』もある石でつくった外壁にして、絶対に焼けない建物を造っちゃったんだ。
中の装飾も素晴らしくて、床の寄木は大工が1枚1枚ていねいに張り合わせて、模様も縁には『黒檀』があしらってあって、とても上品な感じをかもし出しているんだ。
その上に敷かれたじゅうたんは『だんつう』で、赤色の鮮やかな模様を見ることができるよ。
壁紙は、『金唐革紙』っていう紙で出来てるんだけど、花柄が立体的に浮き出され金箔が張ってある、とってもきれいな壁紙なんだ。
あまりにもキレイだったから博覧会に出展した所、その素晴らしさに、世界から注文が殺到し、世界に輸出していたくらいなんだ!
天井は漆喰仕上げになっていて、見事だよ!

船会社だけあって、建物の材料を世界から集めて、日本近代建築の父と呼ばれる『ジョサイア・コンドル』の弟子である東大第1期生の『佐立七次郎』(さたち、ひちじろう)に設計を依頼し、レンガ造りではなく、『総石造り』の建物が出来上がったんだ。
(木造では火災に弱いから、大事な書類がよく焼けてしまってたんだって)
それを防ぐ為に、『厚さ75センチ』もある石でつくった外壁にして、絶対に焼けない建物を造っちゃったんだ。
中の装飾も素晴らしくて、床の寄木は大工が1枚1枚ていねいに張り合わせて、模様も縁には『黒檀』があしらってあって、とても上品な感じをかもし出しているんだ。
その上に敷かれたじゅうたんは『だんつう』で、赤色の鮮やかな模様を見ることができるよ。
壁紙は、『金唐革紙』っていう紙で出来てるんだけど、花柄が立体的に浮き出され金箔が張ってある、とってもきれいな壁紙なんだ。
あまりにもキレイだったから博覧会に出展した所、その素晴らしさに、世界から注文が殺到し、世界に輸出していたくらいなんだ!
天井は漆喰仕上げになっていて、見事だよ!

そんな時代を感じさせてくれる小樽の街は、ゆっくり歩いて観光するには、もってこいの場所だと思うね!
運河は情緒も何もないと思うんだけど、『堺町通り』はとってもいい場所だよ!
当時の建物もショップとして形を変えて残っているし、カワイイ小物を売っているお店も沢山あるよ。デートでいくと良いんじゃあないかなあ?
ここにある、『ベネチア美術館』に入ってみたんだ!ここにはダイアナ妃がチャールズ皇太子と一緒に乗ったゴンドラが展示してあるよ!
ガラスで作った文鎮はとってもキレイだったなあ。
あと、『日本銀行小樽支店』にも行ってみてほしいんだ!
ここで案内をしてくれる人がいるから、一緒について歩くと小樽の昔話や銀行の仕組みなんかを教えてくれるから面白いんだ!『1億円っていったいどんな感じで保管されているんだろう?』って事も体験できるしね!
この銀行のシンボルが何で『ふくろう』なんだろう?2階にある廊下は何の為にあんな所にあるんだろう?って事を分かり易くお姉ちゃんが教えてくれるよ!
『小樽の駅』って、小樽の住民が利用しているだけだから、観光名所ではないんだ!
普通の駅だから、行っても感動はないよ!
商店街も寂れていて、買うものなんて無いと思うから、海辺に下りて、運河の辺りを見ると良いんじゃあないかなあ!
昔の古い建物に入って『お茶』を飲むのは、とっても素敵な時間を過ごせる空間だし。
最近『海鮮』に飽きてきたから、中華が食べたくなった。
余市から小樽に入る幹線道路横にあるレンタルビデオの『ツタヤ』の近くに、中華食堂!って旗が見えたから、ここに入ってみたんだ。
店にはお客が1人しか入っていなくってさあ『ヤバイ!』って思ったけど、いまさら出ることなんて出来ないもんね!
お母さんに『マーボー丼と味噌ラーメンが食べたいんだけど、食べれるかなあ?』って量がどのくらいか聞いてみたんだ!
お母さんは『2品食べたいのなら、調節してあげるよ!』って言ってくれたんだ。
お腹は減ってるから、出来上がりを楽しみに待っていると、野球のユニホームを着た高校生たちが勢い良く店に入ってきた!
野球少年は、いかにも常連そうに振舞ってて、オバチャンに『バターいためのイカ定食』を頼んでいた。
お母さんは、野球少年が入ってくると、途端に機嫌がよくなり、高校生の世話をかいがいしく焼いていた。
俺の頭の中で、少し悪い予感が頭をよぎったけど、早くマーボー丼が食べたかったから、気にせずに、元気な野球少年の話に耳を傾けていた。
アメリカで活躍するイチローが、オールスターに出ることを誇らしく話す少年たちがまぶしかった。
どうやらこの小樽の少年は、東京弁で話すらしい。(発見だった!)
オバチャンが店の奥からノレンをくぐって出てきた時に、とうとう俺の予感は的中してしまった!
マーボー丼は巨大などんぶりの中を火山が噴火した後の溶岩のように山盛りに盛って出てきたんだ!
『何じゃこりゃ・・・・?』数あるマーボー丼を食べてきた俺だが、こんな器で出てきたのは初めてお目に掛かったぞ!いくらスプーンを入れても減る気配は・・・・無い!
そんな時に、第2品目として、富士山のように積み上げられたもやしを乗せたラーメンが登場してきた!『なんじゃ〜!これをどうすりゃあ食べれるんかいのう?』
もう食べるというより、戦いである!
ラーメンだけをどうにか腹の中に納めて、後のマーボー丼は、持って帰るしか方法は見当たらなかった。
こんなのが食べれるのは、近代福山高校の柔道部と野球部だけじゃないだろうか?
『アレ?野球部?』やっぱりここは腹を空かした学生に親しまれているお店だったんだ!
なるほど!野球少年達は、噛むより先に『飲み込む』ように食べている。
・・・『もうお腹の中には何も入りません!』きょうは小樽にある、24時間営業のスーパーの駐車場に泊まる事にします。・・・・というか、疲れて動きたくないんです!
おやすみなさい。